雑記

もちが帰化するまで②

今回は、前回の続きを書いていきますね!!
後半は、重いことも書いているかもしれませんが、同じ在日韓国人で悩んでいる方の救いになればと思い書いています。
前半の「私が帰化を決意するまで」~「帰化申請の必要な書類」はこちら

実際帰化して変わったこと、変わらないこと

私は、法務局で事前相談~実際許可がでるまでは8ヵ月かかりました。
ここらへんは地域によってかなり異なるようです。私は一緒に帰化していた兄が申請中に交通事故に合い、その処理が終了するまで書類を法務省へ送ることができなかったので1~2か月程度遅れました。
私は、許可がでた当日にその足で住民票を作ったり、免許証・マイナンバーカードの変更などをしに行きました。そのほうが、時間を有効的に使えましたよ。

帰化して変わったことは、パスポートを作るのが簡単になった。
住民票など公的書類の取り寄せが本当に楽!!あとは、身分証明書を提出する度に在日韓国人と知られることがなくなったことぐらいかな。
日本人となったので、在日韓国人のことを黙っていた友人とかに知られることが怖いとか思うことがなくなったり、職場の人に知られるリスクが低くなった。そこらへんは、気持ちが楽になったなー。
あとは、選挙権があるので政治に参加できるようになったことはすごく嬉しい😊

変わらないこと。。。
私生活はほぼ変わらないです(笑)今までと同じように生活してます。
本当に、戸籍が変わっただけって感覚。でも、日本で生活することは大好きなので帰化できてよかったなぁと思ってます。

在日韓国人として生まれて感じたこと

はっきり言って、在日韓国人として生まれてよかったと思うことはほぼなかったです。
韓国で生まれて日本に移住ならまだいいけど、日本で生まれ育ったのに日本人でもなく、韓国語を話せるわけでもないので韓国人でもない感覚は、何と言えばいいかわかりません。
これは、きっと周りの人に秘密にして生活していたためっていうこともあると思う。従妹とかは友人に話していたためもっと気持ち的に楽だったかもしれない。これも本音を聞いたことがないからわからないけど。
私の自身のなさや劣等感はほぼここからきていると思う。
でも、唯一よかったことは日本と韓国の関係を客観的にみれることや、差別をされることの辛さを理解できること。なので、私は差別だけはしたくないと思ってる。

帰化をして日本人になっても、在日韓国人の両親がいる事実は変わらない。
恋人だったり、結婚を考えた人に本当は最初からこの事実を伝えたかったけど、嫌われたりしたらどうしよう、拒否されたらどうしようっていう考えばかりで、今まで伝えることができなかった。自分が好きになった相手を信じることができてなかったんだろうな。と今なら振り返ることができる。
在日韓国人という事実は変えることができないから、受け入れてくれることを信じるしかない、それを伝えてダメだったときはしょうがないと思うしかないんだよね。

この30数年生きてきて、こういう風に自分の気持ちだったりを伝える機会がなくていつも自分のなかで消化できない気持ちがずっとくすぶってた。親にもこんな気持ちをあんまり伝えてこなかった。最近やっと母親に「在日韓国人に生まれた時点でなんか人生不利だよねー」って言った。母親も在日韓国人2世だから同じように思ってたのかもしれないけど「お母さんも一緒だよ」って言ってたなぁ。でも、在日韓国人でも成功している人はいっぱいいるから、あとは自分の気持ち次第なんだよね😖わかってはいるけど、日本で生まれた日本人は、少なからず私が”在日韓国人だから”という悩みはないんだよねーと思うと、羨ましい。
恋人に対してこんなカミングアウトする必要ないし、そのことで嫌われる心配はない。

だから、もしまた在日韓国人として生まれるなら隠さずに生活したい。私のすべてを知ってもらって、好きになってもらえる人と一緒になりたいな。
私は在日韓国人だったけど今は日本人!!これからは、日本人として自分にもっと自信をもって自分を大事にしながら生きていこうって思う。いろいろな思いはまだあるけど、そんな自分の思いを認めてあげながら生活していきたい。

長々と読んでいただきありがとうございました。
ネガティブなことも、今回は書いていますが、私の本当の気持ちを書く機会ができて本当によかったです。

前半の「もちが帰化するまで①」はこちら